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ミステリについて書き散らすブログ

「映え」ミス界の超新星|桃野雑派『星くずの殺人』(2023年)

子供の頃から何となく宇宙に憧れていた。宇宙の果てはどうなっているのか?どこかに人類のような知的生命体はいるのか?もしいるとしたら、どんな生活を送っているのか?楽しい日もあれば、部活や宿題でうんざりする日もあるのだろうか?そんなとりとめもないことを考えたりするのが好きだった。

 

そんな人間にとって宇宙を舞台にしたミステリというのはそれだけでテンションが上がるものだが、古くはホーガン『星を継ぐもの』やアシモフ『はだかの太陽』、森博嗣女王の百年密室』(「宇宙」とは少し違うけれど)等の傑作があるし、昨今の「特殊設定モノ」ブームの隆盛もあり、似たようなテイストの作品は増えつつある。と思っていたら、意外なところからドンピシャなミステリが登場したのでびっくりした。それが桃野雑派『星くずの殺人である。

 

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桃野雑派氏は第67回江戸川乱歩賞を『老虎残夢』で受賞したばかりの俊英である。そのペンネームからも「フランク・ザッパが好きなんだろうな」ということくらいは伝わってくるのだが、音楽では評価3(注:10段階評価)しか取れなかった人間にはそれ以上のことはよく分からない。

 

本作は2023年より少し先の近未来の日本で民間企業による一般人向け宇宙旅行ツアーがリリースされ、そのモニターツアーが始まるところから幕をあける。1人当たり3000万円という格安(!)ツアーに参加する6人(うち1人は無料招待枠)と機長、乗務員の主人公は、ロケット〈HOPE号〉に乗り込み宇宙に浮かぶホテル「星くず」に向かい宇宙旅行を満喫する・・・はずだったが、到着した途端に事件が発生する。なんと機長が首を吊って死んでいたのである。誰が何のためにやったのか?そして何より無重力空間においてどうやって・なぜ首吊りをしたのか?乗務員の主人公は地上のスタッフや宇宙ホテルの従業員、そして6人のツアー客と協力して犯人及び犯行方法を明らかにしようとするが・・・というお話。

 

まずミステリ読みとして気に入ったのは掴みの部分である。最初の事件で提示される「宇宙空間という無重力状態において、なぜ首吊りなのか」という設定は、有栖川有栖さんの『密室大図鑑』的な企画に採用して欲しくなるような魅力的な掴みと言える。昨今の「特殊設定モノ」を読んでいると「どれだけ設定にこだわっても掴みが悪いと読むのがシンドイよね」という作品にしばしば遭遇するが、やはりミステリにおいては掴みがイケてないとなかなか手が進まないものである。中には大した掴みもなくそれでいて読者を飽きさせずに引っ張り込むという超絶技巧を持ったアガサ・クリスティみたいな人もいるが、例外中の例外だろう(筆者はクリスティが駆使する大した掴みもなく長編ミステリを作ってしまうテクニックをダウンタウン・スタイル」と勝手に呼んでいる)。

 

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またツアー客のキャラが立っている点も良い。これは昨今のミステリにおいてはある意味標準装備を義務付けられているようなところもあるが、クローズドサークルのミステリにおいては読者の満足度に直結するという意味で重要なポイントだろう。中でも陰謀論(地球平面仮説)に取り憑かれているおっさんは最後にオチまでついていて笑った。

 

toyokeizai.net

 

メイントリックは宇宙空間及び「宇宙ホテル」の特性においてのみ成立するものでありなかなかの力技である。ある意味森博嗣作品のトリックに近い味わい。ただし読者が見破るのはかなり難しい。

 

一方で一部ネットの口コミでも書かれていたように、動機の部分には突っ込みたくなる。ネタバレになるので詳しいことは書かないが、流石にこの動機には無理がある。ありすぎるといっても良い。とはいえ、パンデミックから戦争まで何が起こるかわからない現代社会において、こういうことを考える人も今後は増えるのかもしれない。意識の低い筆者にはピンとこないので何ともいえない。ただセールスは割と好調なようなので、ミステリオタク以外はそういうことはあまり気にしていないのかもしれないが。

 

prtimes.jp

 

本作を読む限り、この桃野雑派という作家はまず頭の中に映像が思い浮かびそれをテキストに落とし込むような発想方法の作家なのではないかと感じた。似たようなタイプの作家として、古くはアガサ・クリスティエラリー・クイーンレイモンド・チャンドラー、パトリシア・モイーズ、最近ではアンソニーホロヴィッツやM. W. クレイヴンといった人々が挙げられるだろう。鮎川哲也も含めても良いかもしれない。こういった映像ドリブンのミステリ作家の作品は「映え」を嗜好する現代読者にも刺さりやすいだろうし、今後も増えていくのではないか。それはそれで悪いことでは決してないが、その一方で「地味だが滋味深いミステリ」が追いやられてしまうようなことにはならないで欲しいものである。ヒラリー・ウォーの作品を読みながら、ふとそんなことを感じた。