Get to know Crime Novel Under Rain

ミステリについて書き散らすブログ

ビコーズ・イッツ・ゼアー|岩井圭也『完全なる白銀』(2023年)

エベレスト登頂に3度チャレンジしたイギリスの登山家ジョージ・マロリーが、なぜエベレスト登頂を目指すのかと聞かれ「そこにエベレストがあるから(Because it's there.)」という名言を残したことは有名であるが、確かにワタクシのような凡人にとってエベレストのような高山に命をかけて挑むという行為はなかなか想像もつかないことである。もしかするとマロリーに質問したインタビュアーも同じように感じていたのかもしれない。マロリーはエベレスト登頂に挑戦する中で消息を断ち、75年後の1999年に山頂付近で遺体が発見されているが、実際にエベレスト登頂を果たしたのかはどうかはいまだに謎に包まれているという。

 

そんなマロリーを彷彿とさせるカリスマ登山家が登場する山岳ミステリが岩井圭也『完全なる白銀』である。

 

本書の主人公のカメラマン、藤谷緑里(みどり)は、学生時代に訪れたアラスカの北極圏にほど近い村サウニケで親交を深めていたイヌピアット・エスキモーの登山家リタが消息を絶ったデナリ(英語名マッキンリー)登頂にリタの幼馴染シーラとともに挑むため、再び冬のアラスカに舞い戻る。リタは「冬の女王」などと称賛を集めるカリスマ登山家として成功を収めていたが、その成功の影ではリタの「登頂」に対して「実際には登頂していないのではないか」とする批判記事や、その他リタにまつわる幾つかの疑惑を巡る報道もあり、緑里はリタのことをやや信じきれずにいた。そんな緑里とは対照的にシーラはそれらの疑惑に対して憤慨しており、リタの遺志を継ぐためにも緑里とともにデナリ登頂を目指すのだが、リタに対する緑里のアンビバレントな感情に気づき二人の距離は離れてしまっていた。そんな状況で挑む二人の冬のデナリ登頂は果たして成功するのか。そしてリタを巡る疑惑の真相とは?冬のデナリで二人が目にしたものは?というお話。

 

冒頭で「ミステリ」と書いてしまったが、いわゆる殺人事件や犯罪が起こる物語ではない。念のため。ただし、そんなジャンルの是非がどうでも良くなるような、夢中になって読める作品であることは間違いない。

 

本作では「リタは実際にデナリ登頂を果たしたのか」という謎と「緑里とシーラは無事にデナリ登頂に成功するのか」という点が読者にとっての主な関心事となるわけだが、それに加えて「二人はなぜそこまでしてデナリに登らなければならないのか」という点が(実際には)大きな関心事となる。多くの冒険ミステリであれば「家族・国を守るため」といった大義名分が掲げられ読者に感動とカタルシスを与えてくれるわけだが、本作が素晴らしいのは、ありふれた日常の中で自分の人生と向き合い苦しみもがく主人公の姿がしっかりと描かれていることである。そういった過去のエピソードを通して彼女たち(特に緑里)がデナリへと立ち向かう理由が伝わってくるようになっており、単なる山登り小説とは一線を画している。

 

またそういった過去のエピソードを冗長に描きすぎず、現在(デナリへの登山)のシーンと過去をキレの良いカットバック手法で緊張感を持って繋いでいる点もお話作りのうまさを感じさせる。こういう構成力で勝負できるのは理系の才能だよなと思って作者の経歴を見てみたら北大大学院農学院とあった。なるほど。これはおみそれしました。

 

雄大大自然を背景に人間ドラマ溢れる冒険ミステリ、とくればデズモンド・バグリイを思い出した人も多いのではないだろうか。「日本のバグリイ」として今後も期待の正統派冒険小説作家である。