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ミステリについて書き散らすブログ

余白の残し方|ミステリマガジン2023年5月号

「キングダム」という漫画がある。と言っても読んだことはないのだが、とてもよく売れているそうな。その「キングダム」の作者が先日テレビ番組にて創作の裏側について語っていて、ある登場人物について「三国志では2行程度しか記載のない人物であるが、かえって創作意欲を刺激された」というようなことを言っていた。キャラクターの「余白」というのも大事なことなんだなと改めて感じた次第である。

 

ミステリ界でそんな「余白力」のあるキャラクターといえば、やはりシャーロック・ホームズシリーズで登場するアイリーン・アドラーだろう。登場した作品は「ボヘミアの醜聞」のみである(しかもその後まもなく亡くなっている)にも関わらず、数多くのパロディ・パスティーシュに登場しており、シャーロッキアンのみならず幅広い人気を博している。

近年その愛しのアイリーンを猛追しているのが、何を隠そうホームズの宿敵にして大悪党、ジェイムズ・モリアーティ教授である。漫画「憂国のモリアーティ」はホームズファン・ミステリファンを超えて多くの読者を掴んでいるらしい。そしてあのミステリマガジンの最新号で特集を組まれ、とうとう表紙デビューまで飾ってしまった。

 

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ミステリマガジンで表紙デビューしたからと言って急に不調に陥る*1ということはないだろう。今後もモリアーティ人気は高まっていくはずである。

 

さて、本誌の特集ではその「憂国のモリアーティ」作者の三好輝氏へのインタビューや日暮雅通氏の評論、北原尚彦氏をはじめとする国内外のパロディ・パスティーシュ短編等、モリアーティづくしのフルコースが堪能できる。黒谷知也氏の描く変な笑い方をしてしまうモリアーティ(でもこんな笑い方する人いるよね)から北原氏の描くモラン大佐と悪事を働くモリアーティまでみんな「モリアーティ」であるのだから、なんだか「モリアーティ」がゲシュタルト崩壊してしまいそうな勢いである。コナン・ドイルがもしこの特集を読んでいたら、正典以上に魅力的なモリアーティがたくさん登場していて、ちょっと嫉妬したんじゃなかろうか。

 

などと考えながらこれらの評論や作品を読んでいて感じるのは、コナン・ドイル(ワトスンというべきか)はモリアーティというキャラクターについて読者の印象以上に何も書いていないということである。メインのキャラクターとして登場するのは「最後の事件」「空き家の冒険」くらいで、あとは「ノーウッドの建築士」「スリー・クォーターの失踪」「高名な依頼人」「最後の挨拶」の4篇で名前が言及されているだけである。「モリアーティは悪人ではなかったのではないか」という説を唱えるシャーロッキアンもしばしばいるが、ここまで情報が限られていれば読者としては遊び甲斐があるというものである。

冒頭で「余白力」という得体の知れない言葉を使ってしまったが、無理やり言語化すれば

  1. (良い方か悪い方かは別として)明らかに優れた能力を持っている
  2. その一方で登場する機会や作品数は必ずしも多くない
  3. 周りに魅力的なライバル・敵または仲間がいる
  4. 活躍する時代・国が魅力的である

といった整理ができそうである。実際にホームズやアイリーン、モリアーティといったキャラクターはこれらの条件を互いに満たしているが、例えばアルセーヌ・ルパンは2や3、4を満たしているとは言い難く*2、「ルパン・パロディ」の作品例が(モンキーパンチという強力な作品もあるが)それほど多くないことの一因となっているようにも見える。

コナン・ドイルがこういったメタ的なシリーズ設計まで意識していたのかは定かではないが、いずれにしても天才的というより他ない。本来彼が書きたがっていた歴史小説における群像劇の才能は、シャーロック・ホームズシリーズにて存分に発揮されていたわけである。

 

*1:某野球雑誌では、表紙で取り上げられたチームや選手がその後絶不調に陥る呪いがあることで知られており、ファンから恐れられている

*2:ルパンシリーズでも19世紀末から20世紀初頭までのいわゆる「ベル・エポック」の時期は魅力的な世相が描かれるが、第一次世界大戦開戦後はルパンが単なる愛国反独マシーンと化してしまい、子供心に見るに耐えなかった