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ミステリについて書き散らすブログ

「気持」と「気もち」のはざまで|連城三紀彦『黒真珠』(2022年)

当ブログは「おもしろい小説を選びだしてはオーバーに騒ぐ」(©︎瀬戸川猛資)というコンセプトの元に原則としてフラットな記述を心がけているが、1人だけ例外と言うべき作家がいる。今回取り上げるのはその例外、連城三紀彦の『黒真珠』である。

 

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連城三紀彦は2013年に急逝した天才ミステリ作家である。伝説のミステリ雑誌『幻影城』からデビューし、中間小説誌を中心にミステリから恋愛小説まで独特な世界観を持った作品を発表し続けた。没後10年となるがいまだに根強いファンを持ち、伊坂幸太郎を始め現役ミステリ作家にもその信奉者は多い。

 

筆者もそんな連城ファンの端くれであるが、初めて手に取った「戻り川心中」の衝撃は今でも忘れられない。登場する歌人「苑田岳葉」を思わずWikipediaで検索したものだ(もちろんそんなページはなかった)。他にも究極の誘拐ミステリ造花の蜜、反転構造だけでミステリを作ってしまった『流れ星と遊んだころ』、『戻り川心中』を超える短編集という評価もある『宵待草夜情』、解読不能な暗号ミステリ『敗北への凱旋』邪馬台国の謎に取り憑かれた人々を描く『女王』など、傑作だらけのバケモノみたいな作家である。というわけで、マイフェイバリット作家の地位を盤石にしている連城三紀彦については私情を抜きに書くことが難しいんである。仕方ない。

 

本作は連城三紀彦が雑誌やPR誌向けに執筆したものの単行本未収録となっていた短編を中心に編集したものであり、本作をもって連城三紀彦の作品は全て単行本化されたということになる(その代わりに品切れとなっている作品も増えているが)。

このように書くといかにも「落穂拾い」という言葉が頭をよぎるが、結論から言えばそんな不安は全くの杞憂であった。連城らしい鮮やかな反転構成、登場人物の機微、味わい深い文章、独特の(人工的だが)どこか懐かしい世界観が楽しめる素晴らしい短編集である。主な収録作品は下記の通り。

 

「黒真珠」→妻帯者の男との不倫関係にある女の元を、ある日男の妻が訪れる。男を巡って二人の女で交わされる会話から、女たちの意外な思惑が浮かび上がる

「裁かれる女」→弁護士の女の元に、「自宅の浴室に妻の死体があり、自分が疑われるので弁護してほしい」という依頼人が現れる。得意の反転構造が炸裂するが、『流れ星と遊んだころ』のような人工的なストーリーは読者によって好みが分かれるか

「紫の車」→関係の破綻しつつある夫婦が互いに疑心暗鬼となって・・・という連城お得意の恋愛小説的ミステリ。ある小道具が意外な意味を持っていることが最後に判明する

「ひとつ蘭」→「新・細うで繁盛記」の副題が付された連作短編の第一編。鄙びた旅館を経営する女将と創業家の姑の愛憎入り混じったサスペンスフルな物語。タイトルに「蘭」が入っているが、「花葬シリーズ」が好きな人にはぜひ手に取ってほしい佳品

「紙の別れ」→「ひとつ蘭」の7年後を描いた連作短編。本短編集収録作品中のベストだろう。連城らしい鮮やかな反転構造と美しい描写は忘れ難い余韻を残す

「媚薬」→主人公の高齢の母と、その母がかつては恋仲にあった薬局の主人とを巡る話。と言ってもサスペンスが高まるような話ではなく、浅木原さんが指摘しているように「連城自身の両親をモデルにした作品」であるためか、温かみのある読後感が楽しめる

 

いずれの作品もレベルが高く、とても単行本未収録で放置されていた作品とは思えない。改めて今回のコレクションが文庫本で1冊にまとめられたというのは連城ファンのみならずミステリファンとして寿ぐべきことだろう。というのも、没後に出版された作品群を見ると、若干「落ちる」印象があったためである。連城三紀彦が亡くなった2013年以降に出版された単著は下記の通りである(アンソロジー・傑作集、復刊は除く)。

  • 『小さな異邦人』(短編集)(2014年)
  • 『処刑までの十章』(2014年)
  • 『女王』(2014年)
  • 『わずか一しずくの血』(2016年)
  • 『悲体』(2018年)
  • 『虹のような黒』(2019年)

上記の作品群には、連城流誘拐ミステリの傑作である表題作を含めハイレベルな『小さな異邦人』や邪馬台国を巡る奇想が炸裂する『女王』等、連城三紀彦の名に恥じない作品が含まれている一方で、実験的すぎて何が何やらわからなくなってしまった『悲体』や美しい装丁しか記憶に残らない『虹のような黒』については、率直に言って連城ファン以外にはなかなか薦めにくいものであった。そういう意味でも、最後の最後にあらゆるミステリファンに自信を持って薦められる作品集が出版された(しかも文庫で)ことは、一ファンとして非常にめでたいことなのだ。

 

また連城ファンとして一つ付け加えておくと、本短編集は(恐らく)「気持」表記と「気もち」表記の作品が併録されている唯一の短編集ということである。連城三紀彦ワープロやパソコンのWord等を使わずに原稿用紙に直筆で記載するスタイルで知られる。

 

「恋文」の直筆原稿

 

それゆえか独特の漢字表記を駆使しており、その中でも顕著なのが「きもち」の表記が時代とともに変わるという点である。この点について詳述するのは別の機会にするが、概ね80年代までは「気持」表記、90年代以降は「気もち」表記と変化している。例えば本短編集では、82年に発表された「過剰防衛」では「気持」表記となっているが、それ以外は全て90年代以降に発表された作品であり「気もち」表記となっている。筆者の知る限りこのような表記の変遷について連城自身が語ったことはないと思われるが、上記の通りわざわざ直筆原稿で執筆活動を行うスタイルであることを踏まえると、何らかの意図があると考えるべきだろう。

 

そんなマニアックなポイントについて生前の連城さんに尋ねたらどんな返事が返ってくるのだろうか。ささやかな表記の変遷に込められた連城さんの本当の「キモチ」はどのようなものだったのだろうか。改めて早すぎる死が惜しまれる作家である。