Get to know Crime Novel Under Rain

ミステリについて書き散らすブログ

水で割るか、ソーダで割るか|ヒラリー・ウォー『事件当夜は雨』(1961年)

「職人的作家」と聞いて誰を想像するだろうか。ミステリ界で言えば400冊近い作品を残した笹沢左保は間違いなく「職人」であっただろうし、デビューから50年以上の間ハイペースで休むことなく書き続けた西村京太郎も「職人」の鑑のような作家である。海外だと寡作ながら玄人好みの作品を生み出したP. D. ジェイムズや常に一定以上の質の作品を出し続けたエド・マクベインあたりが「職人」のイメージに近いか。

 

個人的にそんな「職人」感が最も強いと思っている作家の一人がヒラリー・ウォーである。戦後間もない1947年にデビューして以来50作ほどのミステリを遺した警察小説の巨匠であるが、何よりも「職人」らしさを感じさせるのはその質実剛健な作風である。例えば1回しか出番のない登場人物でもしっかり名前が分かるように書かれており、また本当の事件捜査でも実際に交わされるであろう会話や手続きが克明に描かれるなど、フィクションと言わせない重厚感のある作風は、軽く読めるスリラーとは一線を画している。その代表作とされ最近創元推理文庫からも復刊された『事件当夜は雨』は、そんなウォーの特徴がよく現れたミステリである。

本作は冒頭の序文で、ある架空の犯罪実話集に記録された事件についての説明がなされ、いずれも動機や犯人は全く異なるが「戸口(玄関)で待ち受けていた死」であること、そしてこれから語られる事件もそんな「玄関での死」にまつわる事件であると予告される。そして本編では土砂降りの雨の夜、都会から引っ越してきて農園を営む夫婦を訪れた謎の男が「おまえには50ドルの貸しがある」と言い主人を撃ち殺してしまうという事件が発生し、地元の警察署長フェローズとその相棒であるウィルクス部長刑事の捜査が幕をあける。特に被害者を殺す動機を持っていそうな人物が見当たらない中、フェローズたちは少しでも可能性のありそうな人物を片っ端から捜査していくのだが、全く手がかりも動機も分からないままひたすら登場人物の数が増えていく。そして最後に意外なところからヒントが現れ、見事犯人を検挙するのだが・・・と言うお話。

 

ここまで読まれて察しが良い方はすでに気づかれたかも知れないが、本作の印象は一言で言えば絶望的に地味である。普通の作家であれば本筋に影響を与えない描写や登場人物は適宜刈り込んでいくだろうが、ウォーはそんなことはしない。フェローズたちが捜査において会話した人物は全て律儀に名前が書かれ、彼が目にした全ての事物は(事件への関係性の有無に関係なく)全てが克明に描写されていくのである。これは今のミステリを読み慣れた人間にはなかなかしんどい。特に眠い時には一瞬で夢の国行きである。

 

では読むに値しない作品かというと、全くそんなことはない。と言うのも、ある程度ミステリを読み慣れてきた読者には全く異なる楽しみ方ができるからである。それは「ストレートで飲むとイマイチだけどソーダで割れば美味しくなるんじゃないか」みたいなことを想像しながら読むという方法である。

 

かつてヒッチコックは映画についてこんな言葉を残している。

 

 

ヒッチコックのひそみに倣えば、ウォーにとってのミステリとは「退屈な部分も含めて全て忠実・克明に描いた人生である」のだろう。したがって「ストレートで飲む=単に筋を追う」だけの読み方をすればほとんどが人生の「退屈な部分」になる訳で地味に感じるのも当然である。そんな平凡で退屈な人生=ミステリを自分の感性で割って飲み、そして味わうのがウォーのミステリなのである。

 

例えばラストの犯人を検挙した後もサスペンスを持続させるストーリーテリングは、無骨ではあるが非常にうまい。これをもっとキャッチーな書き方にすると東野圭吾っぽくなるのだろう。また途中で当時の最先端ガジェットのテープレコーダーを使って実験をするシーンなんかはもっと派手に描けばジェフリー・ディーヴァーリンカーン・ライムになる。こんな感じで「無骨な味わいだけど、ソーダで割ればもっと美味しく飲みやすくなるよね」というポイントを見つけ出しながら、自分なりの割り方を想像して味わっていくのである。これがミステリオタクだ。ミステリオタク万歳である。

 

現代の洗練されたミステリと比べてしまうと分が悪いのは事実。とはいえ「惜しい作家」で忘れ去られるにはあまりにも惜しい。そんな作家である。

 

 

他人事どころじゃない|浅倉秋成『俺ではない炎上』(2022年)

昨今はニュースで炎上のニュースを聞くことが多くなった。一連のバイトテロ動画に始まり、最近の回転寿司のペロリスタに至ってはもはや過剰反応の連鎖が更なる模倣犯を生み出しているようにすら見える。まぁほとんどSNSを使っていない筆者にはあまり縁のない(あって欲しくない)話ではあるが。

 

そんなSNSでの炎上ネタをどストレートにミステリに仕立てたのが、浅倉秋成『俺ではない炎上』である。

 

www.futabasha.co.jp

 

本作の主人公泰介は大手不動産会社で営業をやっているサラリーマン。平凡ながら順風満帆な人生を送っていたが、ある日TwitterっぽいSNSの捏造と思われるアカウントにて本物の女性の殺害シーンと思われる動画が投稿され炎上したのをきっかけに、女子大生殺害事件の真犯人として実名&顔写真付きで晒されてしまう。あっという間に会社にも伝わり、程なく実物の死体が見つかり警察が正式に捜査に乗り出したことに加え、謎の人物からの警告とも読める手紙を受け取ったことから、泰介は逃亡することを決意する。その間もSNS上の炎上は止まることなく広がり続ける中、事件の黒幕・真犯人への手がかりは意外なところから現れるのだった・・・

 

本作ではSNSでの炎上の標的となった人間に襲いかかる恐怖が鮮明に描かれており、その口当たりは「怖い」の一語に尽きる。炎上が燃え広がって主人公の泰介に襲いかかることで醸し出されるサスペンスは、(火の種類は全く異なるが)エラリー・クイーンの『シャム双生児の秘密』の有名なラストを彷彿とさせる迫力がある。「とにかくページをめくる手が止まらない」ような小説を求めている人には迷わずおすすめできる作品である。一方でこの部分がこのミステリの欠点でもある。このSNSの炎上のパートが面白すぎるのだ。泰介に降りかかる恐怖の体験の方が強すぎて、ぶっちゃけ途中で犯人がどうでもよく感じられてしまうのである。とはいえ、全体を通してみればめちゃくちゃ面白い小説であることは間違いない。

 

浅倉秋成氏という作家はひょっとすると自分の身近でも起こりうるんじゃないか」と読者に思わせるようなお話の作り方が抜群にうまい人である。前作『六人の嘘つきな大学生』ではIT企業の採用選考に挑む就活生たちの心理戦というシチュエーションを舞台にしていたが、世相を切り取りながらミステリを作るテクニックは随一だろう。

そもそもミステリとは基本的にはあくまでも「他人事」として楽しむものである。ミステリを読んで「ああ、いつか俺もこんな密室トリックとアリバイトリックを駆使されて、何者かにひっそり殺されるのではないか」などと考えて不安に駆られる人はいない。読者は基本的に他人事と思っているからミステリを楽しめるわけであり、そうでなければミステリオタクはみんな頭がイカれているか、さもなくば胃痛に苛まれているはずである。

そんなミステリを読む人間が持つ無意識な「お約束」を無慈悲に打ち破り、没入感のあるミステリを作り出すのがこの作家の本質なのだろう。今後も要注目の異才である。

 

 

余白の残し方|ミステリマガジン2023年5月号

「キングダム」という漫画がある。と言っても読んだことはないのだが、とてもよく売れているそうな。その「キングダム」の作者が先日テレビ番組にて創作の裏側について語っていて、ある登場人物について「三国志では2行程度しか記載のない人物であるが、かえって創作意欲を刺激された」というようなことを言っていた。キャラクターの「余白」というのも大事なことなんだなと改めて感じた次第である。

 

ミステリ界でそんな「余白力」のあるキャラクターといえば、やはりシャーロック・ホームズシリーズで登場するアイリーン・アドラーだろう。登場した作品は「ボヘミアの醜聞」のみである(しかもその後まもなく亡くなっている)にも関わらず、数多くのパロディ・パスティーシュに登場しており、シャーロッキアンのみならず幅広い人気を博している。

近年その愛しのアイリーンを猛追しているのが、何を隠そうホームズの宿敵にして大悪党、ジェイムズ・モリアーティ教授である。漫画「憂国のモリアーティ」はホームズファン・ミステリファンを超えて多くの読者を掴んでいるらしい。そしてあのミステリマガジンの最新号で特集を組まれ、とうとう表紙デビューまで飾ってしまった。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

ミステリマガジンで表紙デビューしたからと言って急に不調に陥る*1ということはないだろう。今後もモリアーティ人気は高まっていくはずである。

 

さて、本誌の特集ではその「憂国のモリアーティ」作者の三好輝氏へのインタビューや日暮雅通氏の評論、北原尚彦氏をはじめとする国内外のパロディ・パスティーシュ短編等、モリアーティづくしのフルコースが堪能できる。黒谷知也氏の描く変な笑い方をしてしまうモリアーティ(でもこんな笑い方する人いるよね)から北原氏の描くモラン大佐と悪事を働くモリアーティまでみんな「モリアーティ」であるのだから、なんだか「モリアーティ」がゲシュタルト崩壊してしまいそうな勢いである。コナン・ドイルがもしこの特集を読んでいたら、正典以上に魅力的なモリアーティがたくさん登場していて、ちょっと嫉妬したんじゃなかろうか。

 

などと考えながらこれらの評論や作品を読んでいて感じるのは、コナン・ドイル(ワトスンというべきか)はモリアーティというキャラクターについて読者の印象以上に何も書いていないということである。メインのキャラクターとして登場するのは「最後の事件」「空き家の冒険」くらいで、あとは「ノーウッドの建築士」「スリー・クォーターの失踪」「高名な依頼人」「最後の挨拶」の4篇で名前が言及されているだけである。「モリアーティは悪人ではなかったのではないか」という説を唱えるシャーロッキアンもしばしばいるが、ここまで情報が限られていれば読者としては遊び甲斐があるというものである。

冒頭で「余白力」という得体の知れない言葉を使ってしまったが、無理やり言語化すれば

  1. (良い方か悪い方かは別として)明らかに優れた能力を持っている
  2. その一方で登場する機会や作品数は必ずしも多くない
  3. 周りに魅力的なライバル・敵または仲間がいる
  4. 活躍する時代・国が魅力的である

といった整理ができそうである。実際にホームズやアイリーン、モリアーティといったキャラクターはこれらの条件を互いに満たしているが、例えばアルセーヌ・ルパンは2や3、4を満たしているとは言い難く*2、「ルパン・パロディ」の作品例が(モンキーパンチという強力な作品もあるが)それほど多くないことの一因となっているようにも見える。

コナン・ドイルがこういったメタ的なシリーズ設計まで意識していたのかは定かではないが、いずれにしても天才的というより他ない。本来彼が書きたがっていた歴史小説における群像劇の才能は、シャーロック・ホームズシリーズにて存分に発揮されていたわけである。

 

*1:某野球雑誌では、表紙で取り上げられたチームや選手がその後絶不調に陥る呪いがあることで知られており、ファンから恐れられている

*2:ルパンシリーズでも19世紀末から20世紀初頭までのいわゆる「ベル・エポック」の時期は魅力的な世相が描かれるが、第一次世界大戦開戦後はルパンが単なる愛国反独マシーンと化してしまい、子供心に見るに耐えなかった

「気持」と「気もち」のはざまで|連城三紀彦『黒真珠』(2022年)

当ブログは「おもしろい小説を選びだしてはオーバーに騒ぐ」(©︎瀬戸川猛資)というコンセプトの元に原則としてフラットな記述を心がけているが、1人だけ例外と言うべき作家がいる。今回取り上げるのはその例外、連城三紀彦の『黒真珠』である。

 

bookmeter.com

 

連城三紀彦は2013年に急逝した天才ミステリ作家である。伝説のミステリ雑誌『幻影城』からデビューし、中間小説誌を中心にミステリから恋愛小説まで独特な世界観を持った作品を発表し続けた。没後10年となるがいまだに根強いファンを持ち、伊坂幸太郎を始め現役ミステリ作家にもその信奉者は多い。

 

筆者もそんな連城ファンの端くれであるが、初めて手に取った「戻り川心中」の衝撃は今でも忘れられない。登場する歌人「苑田岳葉」を思わずWikipediaで検索したものだ(もちろんそんなページはなかった)。他にも究極の誘拐ミステリ造花の蜜、反転構造だけでミステリを作ってしまった『流れ星と遊んだころ』、『戻り川心中』を超える短編集という評価もある『宵待草夜情』、解読不能な暗号ミステリ『敗北への凱旋』邪馬台国の謎に取り憑かれた人々を描く『女王』など、傑作だらけのバケモノみたいな作家である。というわけで、マイフェイバリット作家の地位を盤石にしている連城三紀彦については私情を抜きに書くことが難しいんである。仕方ない。

 

本作は連城三紀彦が雑誌やPR誌向けに執筆したものの単行本未収録となっていた短編を中心に編集したものであり、本作をもって連城三紀彦の作品は全て単行本化されたということになる(その代わりに品切れとなっている作品も増えているが)。

このように書くといかにも「落穂拾い」という言葉が頭をよぎるが、結論から言えばそんな不安は全くの杞憂であった。連城らしい鮮やかな反転構成、登場人物の機微、味わい深い文章、独特の(人工的だが)どこか懐かしい世界観が楽しめる素晴らしい短編集である。主な収録作品は下記の通り。

 

「黒真珠」→妻帯者の男との不倫関係にある女の元を、ある日男の妻が訪れる。男を巡って二人の女で交わされる会話から、女たちの意外な思惑が浮かび上がる

「裁かれる女」→弁護士の女の元に、「自宅の浴室に妻の死体があり、自分が疑われるので弁護してほしい」という依頼人が現れる。得意の反転構造が炸裂するが、『流れ星と遊んだころ』のような人工的なストーリーは読者によって好みが分かれるか

「紫の車」→関係の破綻しつつある夫婦が互いに疑心暗鬼となって・・・という連城お得意の恋愛小説的ミステリ。ある小道具が意外な意味を持っていることが最後に判明する

「ひとつ蘭」→「新・細うで繁盛記」の副題が付された連作短編の第一編。鄙びた旅館を経営する女将と創業家の姑の愛憎入り混じったサスペンスフルな物語。タイトルに「蘭」が入っているが、「花葬シリーズ」が好きな人にはぜひ手に取ってほしい佳品

「紙の別れ」→「ひとつ蘭」の7年後を描いた連作短編。本短編集収録作品中のベストだろう。連城らしい鮮やかな反転構造と美しい描写は忘れ難い余韻を残す

「媚薬」→主人公の高齢の母と、その母がかつては恋仲にあった薬局の主人とを巡る話。と言ってもサスペンスが高まるような話ではなく、浅木原さんが指摘しているように「連城自身の両親をモデルにした作品」であるためか、温かみのある読後感が楽しめる

 

いずれの作品もレベルが高く、とても単行本未収録で放置されていた作品とは思えない。改めて今回のコレクションが文庫本で1冊にまとめられたというのは連城ファンのみならずミステリファンとして寿ぐべきことだろう。というのも、没後に出版された作品群を見ると、若干「落ちる」印象があったためである。連城三紀彦が亡くなった2013年以降に出版された単著は下記の通りである(アンソロジー・傑作集、復刊は除く)。

  • 『小さな異邦人』(短編集)(2014年)
  • 『処刑までの十章』(2014年)
  • 『女王』(2014年)
  • 『わずか一しずくの血』(2016年)
  • 『悲体』(2018年)
  • 『虹のような黒』(2019年)

上記の作品群には、連城流誘拐ミステリの傑作である表題作を含めハイレベルな『小さな異邦人』や邪馬台国を巡る奇想が炸裂する『女王』等、連城三紀彦の名に恥じない作品が含まれている一方で、実験的すぎて何が何やらわからなくなってしまった『悲体』や美しい装丁しか記憶に残らない『虹のような黒』については、率直に言って連城ファン以外にはなかなか薦めにくいものであった。そういう意味でも、最後の最後にあらゆるミステリファンに自信を持って薦められる作品集が出版された(しかも文庫で)ことは、一ファンとして非常にめでたいことなのだ。

 

また連城ファンとして一つ付け加えておくと、本短編集は(恐らく)「気持」表記と「気もち」表記の作品が併録されている唯一の短編集ということである。連城三紀彦ワープロやパソコンのWord等を使わずに原稿用紙に直筆で記載するスタイルで知られる。

 

「恋文」の直筆原稿

 

それゆえか独特の漢字表記を駆使しており、その中でも顕著なのが「きもち」の表記が時代とともに変わるという点である。この点について詳述するのは別の機会にするが、概ね80年代までは「気持」表記、90年代以降は「気もち」表記と変化している。例えば本短編集では、82年に発表された「過剰防衛」では「気持」表記となっているが、それ以外は全て90年代以降に発表された作品であり「気もち」表記となっている。筆者の知る限りこのような表記の変遷について連城自身が語ったことはないと思われるが、上記の通りわざわざ直筆原稿で執筆活動を行うスタイルであることを踏まえると、何らかの意図があると考えるべきだろう。

 

そんなマニアックなポイントについて生前の連城さんに尋ねたらどんな返事が返ってくるのだろうか。ささやかな表記の変遷に込められた連城さんの本当の「キモチ」はどのようなものだったのだろうか。改めて早すぎる死が惜しまれる作家である。

 

お客さんを選ばせてもらっています|ミシェル・エルベール&ウジェーヌ・ヴィル『禁じられた館』(1932年)

※途中で本作のトリックに触れている箇所があります

 

筆者がミステリ沼に沈められたきっかけはポプラ社から出ていたアルセーヌ・ルパンシリーズの1冊『ピラミッドの秘密』という本である。エジプトのピラミッドを舞台に怪盗ルパンが大暴れ、悪い大僧官に何度もやられかけるも最後はやっつけてめでたしめでたしというゴキゲンなストーリー(©︎瀬戸川猛資)なのだが、こんなに面白い本が世の中にあるのかとびっくりしてしまった*1。そのままルパン、ホームズ、クイーン(まさにゴールデンルートだ)と読み進んでいったのだが、そんなある日に図書館で出会った国書刊行会のシリーズ「世界探偵小説全集」のせいで、本格的にクラシックミステリにのめり込んでしまうことになった。

 

その「世界探偵小説全集」に収録されていたレオ・ブルースの翻訳を担当された小林晋さんは、この世界では知らなければモグリと言われかねない神様のような人である。その小林さんが新たに発掘したとんでもないクラシックミステリがシェル・エルベール&ウジェーヌ・ヴィル『禁じられた館』である。

 

www.hanmoto.com

 

本作は実業家にして大富豪のヴェルディナージュが、いわくつきの大邸宅、マルシュノワール館に引っ越してくるところから始まる。ヴェルディナージュによる邸宅の購入をめぐっては何者からか脅迫状めいた手紙が再三届いており、また村人たちからも過去に起こった不吉な出来事を聞かされる等、何やら怪しい空気が漂う。そんなある夜に見知らぬ人物が館を訪れ、ヴェルディナージュが「私はここから出ていかないぞ」と言い返す声が聞こえたのちに轟音が響き渡り、すぐさま館に住み込む使用人たちがそれぞれの方向から駆けつけるとヴェルディナージュは頭を撃ち抜かれて死んでいた。そして不可解なことに、現場に至る全ての通路、地下室、玄関はそれぞれ使用人たちが塞いでいたにも関わらず犯人の姿は煙のように消失してしまったのである・・・

 

本作が素晴らしい点は(以下ネタバレにつき注意)密室トリックに読者の注意を惹きつけておきつつ、別のポイントでどんでん返しをかましているところである。

この作者(のいずれか)は、間違いなくガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』を読んでいるはずである。そして、そこで使われているトリック(2つ目のほう)を読んで本作のトリックを思いついたのではないか。『黄色い部屋』を読まれた方には恐らく同じ印象を受けた人も多いはずだ。

しかし、その印象のせいでまんまと本作の罠にハマってしまうのだ。『黄色い部屋』のルールタビーユ少年の活躍が頭の片隅にあれば、まさか(以下ネタバレ)私立探偵のトム・モロウが単なる咬ませ犬だったなんて、そんなことは夢にも思わないではないか。

また、筆者の拙すぎるフランス語力に基づく想像でしかないが、恐らく館の名前「マルシュノワール館」も作者からのメッセージではないだろうか。発音・スペルの似た単語に「marché noir(マルシノワール)」があるが、これはフランス語で「闇取引」の意味であり、作中の登場人物のある行為が事件の背景にあることを考えると館のネーミングには作者の遊び心が反映されているのではないかと思われるが、穿ち過ぎだろうか。

 

そんな黄金時代のケレン味と遊び心を見せてくれる愛おしいまでにクラシックな本作に対して「登場人物の造形が雑」「価値観が古臭い」といったレビューも散見されるが、極めて残念なことである。はっきりいってイチャモンとしか言いようがない。梶井基次郎の小説を読んで「オチが弱い」といっているのと同じだろう。そんなものはここにはないのだ。

 

dic.pixiv.net

 

いずれにしても、あなたがクラシックミステリファンなのであればネタバレを喰らう前にさっさと手に取ることをお勧めする。本作はクラシックミステリファンに向けた最高の贈り物であるのだから。

 

 

 

 

*1:本作はルブランによるものではく、南洋一郎による二次創作とされている

「映え」ミス界の超新星|桃野雑派『星くずの殺人』(2023年)

子供の頃から何となく宇宙に憧れていた。宇宙の果てはどうなっているのか?どこかに人類のような知的生命体はいるのか?もしいるとしたら、どんな生活を送っているのか?楽しい日もあれば、部活や宿題でうんざりする日もあるのだろうか?そんなとりとめもないことを考えたりするのが好きだった。

 

そんな人間にとって宇宙を舞台にしたミステリというのはそれだけでテンションが上がるものだが、古くはホーガン『星を継ぐもの』やアシモフ『はだかの太陽』、森博嗣女王の百年密室』(「宇宙」とは少し違うけれど)等の傑作があるし、昨今の「特殊設定モノ」ブームの隆盛もあり、似たようなテイストの作品は増えつつある。と思っていたら、意外なところからドンピシャなミステリが登場したのでびっくりした。それが桃野雑派『星くずの殺人である。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

桃野雑派氏は第67回江戸川乱歩賞を『老虎残夢』で受賞したばかりの俊英である。そのペンネームからも「フランク・ザッパが好きなんだろうな」ということくらいは伝わってくるのだが、音楽では評価3(注:10段階評価)しか取れなかった人間にはそれ以上のことはよく分からない。

 

本作は2023年より少し先の近未来の日本で民間企業による一般人向け宇宙旅行ツアーがリリースされ、そのモニターツアーが始まるところから幕をあける。1人当たり3000万円という格安(!)ツアーに参加する6人(うち1人は無料招待枠)と機長、乗務員の主人公は、ロケット〈HOPE号〉に乗り込み宇宙に浮かぶホテル「星くず」に向かい宇宙旅行を満喫する・・・はずだったが、到着した途端に事件が発生する。なんと機長が首を吊って死んでいたのである。誰が何のためにやったのか?そして何より無重力空間においてどうやって・なぜ首吊りをしたのか?乗務員の主人公は地上のスタッフや宇宙ホテルの従業員、そして6人のツアー客と協力して犯人及び犯行方法を明らかにしようとするが・・・というお話。

 

まずミステリ読みとして気に入ったのは掴みの部分である。最初の事件で提示される「宇宙空間という無重力状態において、なぜ首吊りなのか」という設定は、有栖川有栖さんの『密室大図鑑』的な企画に採用して欲しくなるような魅力的な掴みと言える。昨今の「特殊設定モノ」を読んでいると「どれだけ設定にこだわっても掴みが悪いと読むのがシンドイよね」という作品にしばしば遭遇するが、やはりミステリにおいては掴みがイケてないとなかなか手が進まないものである。中には大した掴みもなくそれでいて読者を飽きさせずに引っ張り込むという超絶技巧を持ったアガサ・クリスティみたいな人もいるが、例外中の例外だろう(筆者はクリスティが駆使する大した掴みもなく長編ミステリを作ってしまうテクニックをダウンタウン・スタイル」と勝手に呼んでいる)。

 

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またツアー客のキャラが立っている点も良い。これは昨今のミステリにおいてはある意味標準装備を義務付けられているようなところもあるが、クローズドサークルのミステリにおいては読者の満足度に直結するという意味で重要なポイントだろう。中でも陰謀論(地球平面仮説)に取り憑かれているおっさんは最後にオチまでついていて笑った。

 

toyokeizai.net

 

メイントリックは宇宙空間及び「宇宙ホテル」の特性においてのみ成立するものでありなかなかの力技である。ある意味森博嗣作品のトリックに近い味わい。ただし読者が見破るのはかなり難しい。

 

一方で一部ネットの口コミでも書かれていたように、動機の部分には突っ込みたくなる。ネタバレになるので詳しいことは書かないが、流石にこの動機には無理がある。ありすぎるといっても良い。とはいえ、パンデミックから戦争まで何が起こるかわからない現代社会において、こういうことを考える人も今後は増えるのかもしれない。意識の低い筆者にはピンとこないので何ともいえない。ただセールスは割と好調なようなので、ミステリオタク以外はそういうことはあまり気にしていないのかもしれないが。

 

prtimes.jp

 

本作を読む限り、この桃野雑派という作家はまず頭の中に映像が思い浮かびそれをテキストに落とし込むような発想方法の作家なのではないかと感じた。似たようなタイプの作家として、古くはアガサ・クリスティエラリー・クイーンレイモンド・チャンドラー、パトリシア・モイーズ、最近ではアンソニーホロヴィッツやM. W. クレイヴンといった人々が挙げられるだろう。鮎川哲也も含めても良いかもしれない。こういった映像ドリブンのミステリ作家の作品は「映え」を嗜好する現代読者にも刺さりやすいだろうし、今後も増えていくのではないか。それはそれで悪いことでは決してないが、その一方で「地味だが滋味深いミステリ」が追いやられてしまうようなことにはならないで欲しいものである。ヒラリー・ウォーの作品を読みながら、ふとそんなことを感じた。

 

「共感」の時代のノワール作家|S. A. コスビー『頬に哀しみを刻め』(2021年)

久しぶりのエントリとなってしまった。筆無精にとってはデジタルも紙も変わらないということか。改めて反省しつつ、最近読んだ本の感想を適宜アップしていこうと思う。

 

最近よくチェックしているのがハーパーBOOKSである。早川や創元、文春といった大手老舗出版社に比べれば地味なレーベルかもしれないが、海外ミステリが好きな方であればとりあえず注目しておいて損はない。例えば昨年の新刊リストを眺めてみると、ビターな味わいの中に救いのある世界観を描き切った新時代のノワールコスビー『黒き荒野の果て』や、フランスの新本格派とでもいうべき凝りに凝った舞台設定と犯人像が楽しめるミニエ『姉妹殺し』、説明不要のエンタメ・ハードパンチャーが手がける新たなマフィア大河小説シリーズの第1作であるウィンズロウ『業火の市』といった、なかなかのハイレベルなラインナップなのである。その他の作品も(全部は読んでいないが)いずれも世評は悪くない様子。2022年度「このレーベルがすごい」はハーパーBOOKSで決まりだろう(話は逸れるが、個人的には「このレーベルがひどい」の方が盛り上がりそうなので誰かに是非やってほしい)。

 

そんな今をときめくハーパーBOOKSから前述したコスビーの第2作『頬に哀しみを刻め』がリリースされたので、いても立ってもいられずに早速読んでみた。

 

honto.jp

 

本作も前作同様に「かつて犯罪を犯したもののその後更生の道を歩んでいたらやんごとなき事情により再び犯罪行為に加担せざるを得なくなった主人公」モノである。そんな可哀想な主人公アイクはかつて殺人を犯しながらも出所後は庭園管理の会社を立ち上げるなど順調に社会復帰を果たした黒人。しかし、息子のアイザイアはいわゆるゲイであり、白人のパートナー、デレクとの結婚をきっかけに親子の関係は崩壊してしまっていた。そんなある日アイザイアとデレクは何者かに殺されてしまう。警察の捜査も虚しく犯人の手がかりは掴めないのだが、事件から2ヶ月ほどたったある日、デレクの父バディ・リーがアイクの元を訪れて息子たちの「弔い合戦」をやらないかと提案してきた。バディ・リーも息子たちの「結婚」には猛烈に反発しており、アイクとも当然疎遠なままだった。加えて人種の違いや社会的ステータスの違いからくるアイクへの偏見を隠そうとしないバディ・リーに対してアイクも心を開くことはできず、アイクはバディ・リーからの申し出には気乗りせずにいた。ところが、ある日息子たちの墓が何者かに荒らされているのを知ったアイクは、一転してバディ・リーとタッグを組み、杳として手がかりの得られない犯人を自分たちの手で見つけ復讐することを誓うのだったが、その行手にはギャングやバイカー集団たちが現れ、血みどろの戦いに巻き込まれるのだった・・・

 

というわけで、いかにも正統派のノワールでありクライムノベルであるが、本作の優れているポイントは大きく3つあると思う。

  1. 今っぽい社会的断絶が物語の根幹に織り込まれている
  2. いくつかの「意外性」がリーダビリティを高めている
  3. ラストは甘すぎず苦すぎず

1については、昨今巷間で話題に上がるLGBTQの問題であるが、現代アメリカでもやはり世代間では受け取り方が異なるのだろう。当然アイクやバディ・リーの世代としては、息子がLGBTQであるということは率直に言って「がっかりポイント」となるのは分かる気もする。とはいえアイザイアやデレクのようなZ世代にとってはいわば「ノーマル」なことであり、そんな世代間のギャップが登場人物たちを通じて描かれている。加えて、人種間の断絶も古くて新しい問題として本作でも描かれており、いわゆる「レッドネック」(「アメリカ合衆国南部アパラチア山脈周辺などの農村部に住む、保守的な貧困白人層を指す用語。職業は肉体労働者や零細農家が多い(Wikipediaより抜粋))であるバディ・リーが、黒人のアイクに対して偏見のこもった眼差しをむけている様がはっきりと描かれている。そんな二人が徐々に互いを理解していきながらバディとして立ち向かっていく様は、ベタではあるがとても力強いものである。

2についても、ネタバレになるので詳細は避けるが、いくつか予想もしていないところで意外な事実が明かされるため、メリハリが効いていてページを捲りやすく感じた。この辺りのストーリーテリングは前作よりも明らかに上達している。そして3については前作と同様と言えるが、ここは賛否が分かれるところかもしれない。雑に書くとノワールとはもっと救いのない話であるべき」といった見方もあると思われる。そのような意見があることも踏まえつつ、個人的にはコスビーが描く「救いのある結末」というのは今の時代の空気感にフィットしているように感じる。「コスビーノワール=ぺこぱの漫才」なのだ。

 

ananweb.jp

 

と言うわけで、本作は爆走アクション小説の前作よりもずっと良い出来栄えだと思う。間違いなく年末のランキングにも入ってくるべき作品だろう(出版された時期が早いのが気がかりだが)。海外ミステリファン必読の注目作である。